青空を探して~エイミー34歳カナダ・カレッジライフ~

人生30代からがエキサイティング☆

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英語で読もう、平和宣言!!

カナダと日本の戦争についてを書こう・・・と考えていたのですが、伝えたいことを優先して書いていたら、カナダとなかなか結びつかなくなってしまいました(汗)。戦争をグローバルに考えていく・・・という視点で読んでいただければと思います。

さて、今日は、この夏のピース・メッセージの最終回です。

毎年、広島と長崎の原爆の日には、記念式典が開催されます。
そこで注目されるのが、それぞれの市長により読まれる平和宣言。
毎年、どんなことが書かれているのか、エイミーは、密かに楽しみにしています。(ウヒヒ)

世界唯一の被爆国である日本。
その中心となる広島、長崎。
被爆者への鎮魂と、その悲劇を二度と繰り返さないための誓いには、日本政府をはじめ、全世界の人々へのメッセージが込められています。
その内容は、現在の世界情勢を色濃く反映し、まるで1年間の世界史おさらいをしているよう。

そして、日本語をはじめ、英語・中国語・韓国語等の翻訳も同時に発表されるので、語学学習者にはもってこいの教材です。(少し難しい内容なのですが、文法はとても基礎的なものが使われています)
語学学校や留学先のディスカッションで、日本について語る機会が多い方には、とても役に立つと思います。

「知らない単語も多いし、覚えられない&上手く伝えられないよ~」という場合は、平和宣言をそのままプリントアウトして、配ってしまいましょう!きっと、興味深く読んでもらえるはず。そして、お互いの意見交換が出来れば最高ですね。

日本では、戦争や平和について、真剣に語る機会はあまりありません。友達に話しても、うさん臭く思われるだけです。反面、ワーホリや留学で海の外に出ると、意見を求められることが多くなります。
なぜ、このような違いがあるのでしょうか?単なる言語や文化の違いなのか、それとも国民性の違いなのか・・・?

いずれにしても、今後、ますます国境は狭まり、国際社会で生きていかなければいけない時代になります。その中で、自分の国の歴史と、それを踏まえたうえでの意見を言えなければ、地球村の一員として胸を張ることは出来ないでしょう。

日本人としてのアイデンティティーを形成する。
その為の一助として、この夏は「平和宣言」を英語で読んでみてはいかがでしょうか?

ちなみに、エイミー個人としてですが、今年は長崎平和宣言がオススメです。内容がまとまっていて、英語バージョンも分かりやすくなっています。


広島平和宣言(日本語)
The Hirosima Peace Declaration
長崎平和宣言
The Nagasaki Peace Declaration

みなさまの夏が、楽しく有意義なものになりますように♪
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あるワーホリメーカーの死 

2004年10月31日、
イラクで一人の青年の命が奪われました。
香田証生(こうだしょうせい)さん、享年24歳。

香田さんは、2004年1月~9月上旬まで、ワーキングホリデービザでニュージーランドに滞在していました。滞在中は、語学学校で英語を学んでいたそうです。

そして同年9月、「イラクで何が起きているかを自分の目で見るため、現地に行きたい」と中東へ向かいます。
イスラエル、ヨルダンを経て、10月21日、イラクに到着。
その後、外国人誘拐事件等のトラブルを恐れる現地のホテルから、次々に宿泊を断られます。23日にバスターミナル付近を歩いているのを目撃されたのを最後に、姿が見えなくなりました。

10月26日、「イラク聖戦アルカイダ組織」が、48時間以内にイラクから自衛隊を撤退させることを、日本政府へ要求。香田さんの映像を公開します。

「彼ら(武装グループ)は、なぜ日本政府が法を破ってイラクに自衛隊を派遣したのかと尋ねています。小泉(純一郎首相)さん、彼らは日本政府に自衛隊の(イラクからの)撤退を求めています。さもなくば、僕の首をはねると言っています。すみませんでした。また日本に戻りたいです」(共同通信)

その後の、彼の足取りは、皆さんもご存知のとおりです。
本当に痛ましく悲しい結末になってしまいました。

この香田証生さん殺害事件は、私の心に重く沈みました。
それは、彼がワーホリメーカーだったから。
一度もお会いしたことはないけれども、同じように大きな希望を抱いて、ワーキングホリデービザを手に海を渡った仲間だったからです。

海外生活は、心を夢と希望で満たし、世界へと目を向けさせます。
「英語を勉強して、様々な国の人達と知り合い、もっと世界を知ろう」
ワーホリメーカーや留学生の多くが、そんな思いを抱きながら生活をしているのではないでしょうか?
そして、並外れて強い冒険心と正義感を持ち合わせた人であれば、「世界の現実を見てやろう」と、戦火の中にある国に足を向けても不思議ではありません。
そんな、期待に胸膨らませた一人のワーホリメーカーの未来が、無残にも奪われてしまいました。

「危険なイラクに行ったこと自体が無謀だった。殺害されたことは残念だが仕方がない。我々は絶対にテロに屈してはいけないのだ」
当時、この事件に対して、新聞やテレビの多くは、そう終止符を打ちました。
「なぜ香田証生さんはイラクで人質となり、殺されなければならなかったのか?」
そんな素朴な疑問を解決する助けとなるメディアはありませんでした。無念さと、何か煮え切らない思いが心に残りました。

物事の答えを探し出し、解決策を考えるためには、とことん「なぜ?」を突き詰めていく必要があると思います。

例えばこんなふうに。

イラクは危険→なぜ?→戦争中だから→なぜ?→アメリカが攻撃したから→なぜ?大量破壊兵器を保有すると思ったから→なぜ?(ご存知の通り、大量破壊兵器は存在しなかったのですが・・・)

香田さんはイラクへ行くべきではなかった→なぜ?→少し前に日本人人質事件が起きていたから→なぜ?→一部の過激な武装勢力が、自衛隊をイラクから撤退させたかったから→なぜ?(続く・・・)

「なぜ?」を繰り返し問いかけていくと、どこかで、それ以上先に進めなくなります。そこが、問題解決のカギとなる部分です。
ちょっと理屈っぽいですが、先へ先へと突き詰めていくことで、真実が見えてくるのだと思います。

それでは、なぜ香田証生さんはイラクで人質となり、殺されなければならなかったのでしょうか?

ここからは、是非、みなさん自身で「なぜ?」を解決へと導いてください。

何が彼の命を奪ったのか。
それを繰り返さないためには、どうすればいいのか。
もちろん、失われた命は決して戻りません。
でも、ただ黙っているのではなく、伝え行動していくことで、希望が見えてくるのではないでしょうか。
私は、同じワーホリ仲間として、これからも、この事件のことを考え、伝え続けたいと思っています。


カナダ日系人と第二次世界大戦

「カナダに住む日系人?興味ないな~。せっかくカナダに住んでいるのだから、やっぱりカナダ人と友達にならなくちゃ」
5年前の私は、そう考えていました。
その頃抱いていた日系人に対するイメージといえば、勤勉、控えめ、そして頑固そう・・・というくらいでしょうか。民族のルーツは同じなのに、とても遠い存在のように思っていました。

そんな気持ちを動かされたのは、ごく最近のこと。第二次世界大戦中の、日系人のたどった運命を耳にした時です。

1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。同年9月、イギリス軍が参戦。その後、元君主国を追いかけるかのように、カナダ軍も参戦表明。

1942年、日本軍の真珠湾攻撃。連合軍(主にアメリカ・イギリス・中国)VS日本軍との長い戦(太平洋戦争)の幕開けとなる。
そして第二次世界大戦はアジア太平洋地域へと拡大。

カナダでは、全ての日系人は「敵国人」であるという烙印を押され、不当な差別が公然と行われるようになりました。
日本語の新聞は発禁、学校の閉鎖、財産の差し押さえと没収。
極めつけは、太平洋沿岸部から100マイル以内に住む日系人への、強制退去(追放)命令でした。
持ち物をまとめる時間すら与えられなかった日系人たちは、着の身着のままで、住み慣れた土地を後にします。

その後、ヘイスティングス公園(バンクーバ)の退去施設を経由し、内陸部にある、いくつかの強制収容所への移動が始まりました。
収容所以外にも、アルバータ州南部やマニトバ州の砂糖大根農場、道路建設現場、また、オンタリオ州の捕虜収容所へ送られた人もいました。それぞれの場所で日系人達は、劣悪な住居環境と過酷な労働を強いられたのです。


「戦時中はカナダも戦争の加害者だったんだ。強制収容所を作り、日系人を強制的に移動させていたんだ。今は、多民族・多文化が共存するこのすばらしい国でも、かつてはひどいことをしていた」
その事実を知ったとき、正直、ショックでした。
数十年前は、日本人は敵国人であったこと。カナダ政府から日系人への強制退去命令が出されたこと。多くの日系人が、家や財産などの生活基盤を失ったこと。

1945年9月2日、日本、連合軍の降伏文書に調印。終戦。
奪われた人生を取り戻すための、日系人達の新たな戦いの日々が始まりました。

1980年代、アメリカの日系人が、歴史の誤りを正すリドレス(redress)運動を始めます。カナダでも、日系コミュニティーが中心となり、リドレスの声が高まっていきました。

そして1988年、カナダ政府とのリドレス合意。
<主な合意内容>
*戦時中のカナダ政府による日系人への不当な扱いを正式承認
*戦時措置法により犯罪者とされた日系人の名誉回復
*被害者への補償金の支払い
*人種差別撤廃のための日系コミュニティーへの委託金の支払い

戦後40年以上が経過して、ようやく日系人達の新しい人生がスタートしたのです。


歴史の紐を解くにつれ、現在のカナダ日系人に対するイメージが変わっていきました。戦後、彼らが懸命に再建の努力をしてきたからこそ、今のコミュニティーがある。彼らのたくましさ、力強さを感じます。
「日本人として、カナダ日系人の歴史を知らずに、本当のカナダを知っているとは言えないんじゃないか」
カレッジ留学中に、日系人の方とお会いして色々とお話を聞くことが、エイミーの「夢ノート」に加わりました。

戦争はいつも、国の大義名分のために引き起こされます。でも、悲しいかな、犠牲になるのはいつも個人。傷つき嘆くのは、国や政治家ではなく一般市民です。
人間に、もし想像力があるのなら、悲惨な過去から多くを学べるはず。過ちを繰り返さないためには、どの方向に進むべきか。人としての真価が問われる時代に再び入りつつあるのではないか。身の引き締まる思いの今日この頃です。


カナダ日系人の歴史について、もっと詳しく知りたい方は全カナダ日系人協会のウェブサイトをご覧ください♪
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